POP JAPAN
- 書籍『POP JAPAN』について -

Mayumi Internationalが選考した海外で評価されるべき新進・新鋭の日本人アーティスト25人が紹介された書籍「POP JAPAN」。
1人のアーティストに対し、作品紹介やアーティスト自身について、そして表現法やコメントなども加えたインタビュー形式で掲載されています。
書籍は欧米英語圏で販売しています(Amazonなどのネット販売含む)。内容はすべて英語です。
本誌に掲載された大森みき子へのインタビュー(Q1~Q11)を日本語訳で紹介します。
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Q1. Biography(最終学歴を含め、今までの背景。どうして絵を描くようになったかなどその理由・背景も含む)
1971年生まれ・東京在住。
1995年 大学卒業
大学在学中、サンフランシスコに1年滞在。
そのサンフランシスコ滞在中のある日、目にした2枚の看板。青い空に並んだ『Marlboro』と日本酒『SAKE』の看板。
この関連性のない、でも、違和感なく並んで、私の目に飛び込んできた2枚の看板の存在が、なぜかとても印象的で、そして感じた、目にした人への影響力。
何気なく当たり前のように日常に存在し、目にした人の心にふわっと何気なく入り込む、そんな看板を、広告を作りたい。
あの日に見た2枚の看板が、私の制作の創作の原点。
大学卒業後、印刷会社、制作会社勤務。
ハーレーダビッドソン米国本社のプログラムのもと、日本国内店舗のサイン計画、外観意匠、内装レイアウトを手がけ、その他の印刷物、イベントなど広告の企画・編集・制作に携わる。
7年間、広告制作に従事。
その後、チョークアート看板に出逢い、オーストラリアで技術を磨く。
帰国後、著書,関連書籍の出版やオーダー制作などの他、独自の表現方法で活動を展開。
主宰する少人数制教室・MIKIKOのチョークアート教室では、国内外からの受講生を受け入れている。
海外での展示も、ニューヨーク、ドイツ、韓国など多数。
2006年 著書『Mikikoのチョークアート教室』出版 -
Q2. いつ頃からどんな理由で絵を描くようになり、いつ頃から『アーティストになりたい』と気づきましたか?
看板やオーダー制作の様に特定の誰かのために描くだけでなく、自分の感覚や彩りの世界で描いた作品が、誰かのココロにふわっと届く様なそんな画を残していきたいと想ってから。
そしてきっと、その時が、クリエイターだけではなくアーティストという方向性を見始めた時かもしれません。
誰かのためのオーダー制作も好きなので、今でも大切な2足のわらじです。 -
Q3. 初めてご自身の作品(展覧会などで公に)を発表された時、初めて作品が売れた時の感動を覚えていますか?
オーダーではない作品がはじめて売れた時は、自分が描いた作品が誰かに見つけてもらって気に入ってもらえたすごく嬉しい気持ちと、
作品を手放さなくてはいけないという何だか淋しい気持ちと、とても不思議な感覚。
と同時に、描いていてイイんだよ、と、認めてもらえた様な気がしてそれは本当に嬉しくて、自信をもらいました。
今でも、作品が売れる時の嬉しい様な淋しい様な何とも不思議な感覚はやっぱり感じることがあります。
はじめての海外の展示の時には、自分の画が、海を渡って海外の人の目に触れることになったとき、
とても嬉しかった思いと、画という文字での説明のないものだからこそ、見たもの、感じたものがすべてという
当たり前でとても大切なことを再認識できた機会にもなりました。 -
Q4. アーティストになった今、『描きたい』と思う瞬間はどんな時ですか?
描いてみたい、目にしてみたいという画や彩りがふわっと浮かんだとき。
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Q5. 自身の生き方、作品制作において影響を与えられた人はいますか?
今まで、何かのタイミングだったり、迷っていたりするときに、きっかけになる言葉をもらったり、背中を押してくれたりのは、いつもその時その時に近くに周りにいてくれた友達や大切な人たち。
その中でも今までで一番、影響を受けた出逢いは学生時代のサンフランシスコの同じ時期を一緒に過ごした年上の大切な人たち。
その時まで何もギモンも持たずに足並み揃えて歩いていたひかれたレールの上を、少しくらいはずれたって、少しくらい遅れたって、間違いではないということ、大丈夫ということを気づかせてもらえたことは、今の自分の行き方や考え方にとても大きな影響を与えてもらった気がします。 -
Q6. 何かに感動して涙がでてきたこと事はありますか?
オーダーで作品を描いていると、たまに思いがけないくらいに嬉しい時があります。
ヒマワリの画を入れたウェルカムボードご依頼をいただいた時でした。
花嫁さまからいただいた最初のメールのご依頼は、とても的確な文章での分かりやすいものでした。
ラフをお出しする前に何回かやり取りを進めていても、
メールのお返事はいつも深夜、内容はいつも本当に明確そして必要最小限、
まるで、ビジネルメールのお手本の様でした。
いつもは、何回かメールのやり取りをしていると、少しずつ、書かれている方の雰囲気や表情が見えてくるものなのですが、
彼女からのその簡潔なメールは、とても分かりやすく制作は進めやすいものの、彼女の素顔や雰囲気がなかなか見えてこないままでした。
そのようなやり取りを進めて、はじめてラフをお見せした時のお返事の時でした。
いつもと、ちょっと雰囲気が違う、メールの文字に少し体温を感じる様な、そんな感じで、
ラフへの感想や、ご希望を伝えていただきながら、今まではなかった、感情を表す言葉や形容詞が並んでいました。
そして、ご希望されたモチーフ『ヒマワリ』が好きな理由をはじめて記してくれていました。
「元気をくれる花だから」
ヒマワリを入れたボードで周りの人に元気を与えられたら、と。
そして、メールの最後に、
『仕事でめいっぱい働いて帰ってきた後に見たサンプル画(ラフ)は私に元気をくれました』
と、言葉を添えてくれていました。
その言葉を見た時に、私の方が、何だか、はじめて彼女が心を開いてくれた様な、
はじめて、素顔を垣間みれた様な、そんな気がしました。
ビジネスライクなメールも、深夜に来るメールの返事も、
全部が、きっといつも気を張りながらお仕事を頑張っている彼女そのままだったのだと。
そんな彼女に、彼女が周りの人に元気を与えたいと選んだヒマワリのように、
少しでも元気を与えられたことが、
そしてそれを伝えてくれたことが、とてもとても嬉しく、
いつの間にかウルウルしながら、メールの文字を何度も追っていました。 -
Q7. もし、著名人と一緒に生きていく事が出来るとしたら、誰とどの都市で生きていきたいですか?
いろいろと行ってみたい場所や逢ってみたい人はいても、誰かとどこかで生きていくとしたら...。
今、何気なく過ごしているようでも、やはり周りには大切でかけがえのない人たちがいてくれて、
そして、何より心地よく暮らしているので、ストイックな要素のない私は、
誰と、どこかでというよりは、新しい出逢いも重ねながら、好きな人たちと私らしくいられる場所で笑いながら、
たまに、現実から離れたりも(…逃げたり!?)しながら、生きていたいなと想います。
ゆるりと、自分にやさしく、人にもやさしく、これ、モットーです。 -
Q8. 現在アーティストではなかったら何をしていましたか?
やはり、何かを作っていると想います。
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Q9. 作品を通して何を伝えたいか
伝えたいというよりは、
何か、どんなことでも、作品を見て感じてもらえたらとても嬉しいことです。
そして、ふわっと気持ちがあたたかくやわらかくなってもらえたら、
日々がちょっとシアワセに感じたり、
まわりに誰かから注がれている愛を少しでも感じてもらえる様な、
そんな日常の中にある、心地よさのもとになる彩りを届けられたら嬉しいです。
優しい愛がいっぱい、
あたたかな愛がいっぱい、
届け届けみんなに届け! -
Q10. 自分の人生を色で例えたら何色ですか?またどうして?
光の3原色であるRGB。
そのときその時にイロイロな色に変化していきたいなという思いと、
迷ったり、考えたり、たくさんのことが起こった時に、混ざって黒になるのではなく、
楽しんで、イロイロな色に染めていけたらと、いつでも何かを感じていられる様なそんな白になっていたいから。 -
Q11. 最後に何か
今までも作品を手にしていただいたたくさんの方から、
本当に嬉しい言葉や感動させていただいていた言葉をいただきました。
そんな言葉をいただいたり、感じたりすることができるために、
描いているのでは、と想うくらいに大切な素敵な瞬間です。
何年、何枚描いていても、本当に嬉しい瞬間です。
お一人お一人の言葉や、嬉しい表現をいただきながら、
たくさんのことを感じ、そして私の中で嬉しいギフトになっていきます。
これが、きっとこれが私のシアワセのもとなんだなあって、感じながら。
これからも、
作品を手にしていただいた方、
オーダーしていただいた方、
おひとりおひとりに、
ココロへの贈り物が届けられる、
そんな
描き手、作り手になりたいと想います。